Ahmad Sensei Memotret Aktivitas Mahasiswa DPBJ Menghadapi Pandemik Korona

Minasan, Konnichiwa!

Berikut, tulisan berbahasa Jepang Ahmad Dahidi Sensei, salah satu staf Dosen Departemen Pendidikan Bahasa Jepang UPI yang beliau tulis pada tanggal 9 September 2020. Ahmad Sensei yang mengajar mata kuliah Sakubun di tingkat 1 dan 2, memaparkan bagaimana mahasiswa DPBJ yang mengikuti perkuliahan dari rumah dan beraktivitas dalam kesehariannya menghadapi masa pandemik Covid19 ini, disertai dengan tulisan para mahasiswa yang menyuarakan keluh kesahnya, sikap positifnya dan lain-lain sebagainya dalam menghadapi kuliah daring ini dalam bahasa Jepang. Tidak berpanjang kata, selamat menyimak!

2020年9月9日(水)

COVID 19パンデミック禍中の学生の活動と生活ぶり

By Ahmad Dahidi

はじめに

Bangun tidur, tidur lagi(起きて、また寝て)
Bangun lagi, tidur lagi
(再び起きて、また寝て)
Bangun, tidur lagi
(起きて、また寝て)

Bangun tidur, tidur lagi(起きて、また寝て)
Bangun lagi, tidur lagi
再び起きて、また寝て)
Bangun, tidur lagi
起きて、また寝て)

Habis bangun terus mandi(起きてから、水を浴びて)
Jangan lupa senam pagi
(朝の体操忘れずに)
Kalau lupa, tidur lagi
(忘れたら、また寝て)

Bangun tidur, tidur lagi(起きて、また寝て)
Bangun lagi, tidur lagi
(再び起きて、また寝て)
Bangun, tidur lagi
(起きて、また寝て)

Bangun tidur, tidur lagi(起きて、また寝て)
Bangun lagi, tidur lagi
(再び起きて、また寝て)
Bangun, tidur lagi
(起きて、また寝て)

Habis bangun terus mandi(起きてから、水を浴びて)
Jangan lupa senam pagi
(朝の体操忘れずに)
Kalau lupa,…
dst.(忘れたら

上記の歌詞(原文:インドネシア語;日本語訳:筆者)はBangun TidurというUrip Achmad Rijanto (彼は Mbah Surip として有名です)。が作曲や作詞されたもので、本の一部です。この歌はシンプルで面白いと言われています。実は、そうでもなさそうです。非常に人生の歩みという意味では深い意味を持っている歌だと思います。この歌の面白さはbangun とtidur、この二つの動詞は何回も出ています。例えば、 Bangun tidur, tidur lagi, Bangun lagi, tidur lagi, Bangun… tidur lagiの節はEko Budi Santoso 氏が次のように解釈しています。「この歌詞の節では、人間の人生は回転し続けていると思う。睡眠は、思考することに頭を失い、何かをすることは間違いと間違いに満ちている人間のようなものである。安定していて、人間の生命の輪は目覚めと眠りの間で回転し続ける。私がそれを解釈すると、ジギのアムネシアという曲に似ていると思う。それは「朝の信仰、夜は信じるのを忘れる」なのです。(原文:インドネシア語;日本語訳:筆者)。この解釈はそのとおりだと思います。bangun やtidurというインドネシア語の動詞の意味には比喩的な意味を持っています。辞書的な意味bangunには7つの意味を持っており、その中の一つはmulai sadar (insaf) akan nasibnya(運命を理解し始めること)。 例:bangsa terjajah mulai bangun menuntut kemerdekaannya; (植民地国家はその独立を要求して目覚め始めた。); kaum buruh mulai bangun menuntut perbaikan nasib 。また、Tidurも同じ比喩的な意味を持っていると思います。

さて、bangunは日本語では「起きる」ですが、「tidur」は「寝る」という意味です。

この二つの活動は日常生活には切り離せない存在であり、だれもが行われる継続的な活動の習慣でもあります。地球上の人々はきっとやっていますが、「起きる」時間から「寝る」時間との活動にかけては、いろいろだと思います。勉強する人もいますし、勉強しない人もいます。朝ご飯なしで大学へ行く人もいますし、そうではない人もいます。とにかく、人々の活動の流れとその中身は同じところもありますし、違うところが多いということです。

以前の報告書の「海外だより<コロナ禍に向き合う>「インドネシア(バンドン)の現場から」の欄のところ、「 新しい時代とその生活ぶり<授業の流れとその喜びと悲しみを中心にして>というタイトルを書いてみました。その中身は特に去年、担当した「作文」授業の学生が書いた作文の宿題を一部紹介しました。また、オンライン授業に対する学生(インドネシア人と日本人学生)の声をも紹介しました、詳しいことは(http://www.acras.jp/?p=10332(追加を含む。追加には「作文から見た学生の夢」というタイトル)をご覧ください。

それと関連にして、我が大学の日本語教育学科の学生の気持ち、特にパンデミ禍のせい、家での滞在中(起きてから、寝るまでの活動)とその生活ぶりの状況を紹介してみたいと思います。

学生の一日の活動とその生活ぶり

9月1日はインドネシアの大学では教育分野には歴史的な日なのです。それが新学期の始まりなのです。大学の新学期といえば、授業の始まりや新入生の最初の対面、入っている学生にとってはまた新しい科目を取らなければなりません。とにかく、なんでも新しい生活に入っているような気がします。この気分は日本の大学の新学期の四月と同じ現象でしょう。

私は今学期、4つ科目を担当しています。その一つは「作文」です。学生はどちらかというと、はじめて対面なので、また直接会えないという状況で、「自己紹介」という作文のトピックを練習として出しました。二年生には日本語で、一年生にはインドネシア語で作文を書かせました。その練習の中身はまず、自分の名前、パンデミの間の生活とその活動を書くことです。

学生数は全部、A組み27名、B組みは25名で、みんなが一年間勉強しました。現在、彼らは3学期に入っています。また、一年生のIAクラスの学生数は27名です。ここで、紹介された学生の作文は一年生と二年生の一部です。基本的には、二年生の学生が書いた作文をそのまま引用し、学生の文章でタイプミスや必要以上だけ直しました。一年生にはインドネシア語で書いてもらって、日本語訳は筆者です。その結果は次のとおりです。

1.Khoirunnisa Fathia

こんにちは。私は Khoirunnisa Fathia です。FathiaかNisaと 呼んでください。私の 毎日について書いてみたいと思います。

私は毎朝 5時半に 起きます。そして 祈りをします。講義 活動が あれば、祈りの 後で 授業の準備をします。でも、講義 活動が ないので、祈りの後で 眠りに もどります。また、8時に起きます。それから 母が 料理するのを 手伝いして、掃除をします。家事は通常 12時に終わります。そして、暇です。実際には 暇な時に たくさんのことをしたいです。でも 結局の ゴロゴロします。だから 後悔です。少なくとも 毎日 復習をします。私の日本語は あまり上手ではないので、たくさん勉強するひつようがあります。一日に 2-4時間 ぐらい 勉強します。文法と漢字をもっと勉強しました。しかし、それだけではありません。私はたくさんのことをする時もあります。

パンデミックは いくつかの活動を オンラインで 行っています。例、私は 2つの コミュニティ活動にさんかしました。私達は オンラインに 会議を実行しました。私も 一週間に5日 運動しています。また 復習の後、 歴史物語を読みます。文学が好きだから、時々物語や詩も書きます。最近 私は いくつかの映画を見ます。3-4回ぐらい映画を見ます。時々もっと見ることもあります。だから 私は よく 夜遅く寝ます。最も遅く寝るのは午前3時ごろです。それから 私は いつもの ように 起きます。多分それが 私が しばしば たいだなきもち(怠けの気持ち)に なる理由です。私は それが良くないことを知っています。くりかえさないようにしています。でも、難しいです。以上です。

2.Nisa Weza Azahra

私の名前はニサ・エルザ・アッザーラーです。UPIの日本語学科の2年生B組です。新型コロナウイルスによる数月前から私は家で活動しています。お家の時間が多くなります。私の毎日も少なくとも変っています。2学期の時はあまり変わっていないと思います。月曜日から木曜日まで授業を受けましたが、普通と違ってオンライン授業です。最初は慣れなくて大変でした。宿題も多くなって、ほとんどの時間は宿題をやることにしました。そして、暇な時、ゲームをしました。日本のゲームなので、勉強にもなると思います。そのゲームは2年前からずっとやっています。ゲームで漢字とか単語とか分からない部分があります。それを調べて勉強になります。2学期はこのくらいと思います。

そして、大学の休みが来ました。授業がなくなったから、時間がもっと多くなりました。時間が多いあまり、何をすればいいのか悩んでゴロゴロして退屈になりました。そして、シミュレションゲームをして、夢中になって、長時間過ごしてしまいました。ずっと家にいますから、自分で料理することが多くなりました。色々な料理をするのは案外と楽しいです。学校の休みの日にゲームをしたり、ご飯をたべたり、ゴロゴロしたり、掃除したり、料理したり、寝たりしました。その日々を続けるうちに、日本語を少しずつ忘れてしまうことに気がついました。「駄目だ。日本語を勉強しないと!」と思いました。大学の休みですから、別の方法で勉強したかった私は「ゲームはどうかな、楽しいし、日本のゲームなら勉強にもなるし、やってみる」と思って、日本のシムレションゲームを探して、ゲームをして、また夢中になって、長時間過ごしました。ゲームの字幕を読みながら、会話を聞きました。分からない部分があったら、調べました。すごく楽しかったです。そして、少なくとも日本語を勉強しました。でも、私はまだまだです。改めて自覚している私は13日前N3の勉強を始めました。今までも続けています。これからも勉強を続けているつもりです。それはコロナウイルスの間の私の毎日です。新学期も始まりました。私はもっと頑張らなければなりません。

  1. Putri Yasmin

おはようございます。初めまして、私の名前はプトリ・ヤスミン・サルサビルです。ヤスミンと呼んでください。私はテガルに住んでいます。私は日本語の学生です。今私は19歳です。私はUPIの学生です。コロナウイルスだから大学へ行きません。私は3月から12月までずっとテガルにいます。

コロナウイルスあったので、私は頻繁に家がいます。毎日、私は色々なしています。勉強しましたり、そうじしたり、あそびしたりしました。私は五時に起きしています。毎朝、私はジョギングをしています、そしてそうじしています。9時に私はシャワーを遊びしています。そして私は選択しています。私と母は料理を作っています。母は料理が上手です。

私はとても所在ないです。私はバンドンへ行きたいですそして大学へ行きます。テガルで私は母を助けています。母はオンラインで販売していますだから私は注文を届けています。毎晩、私あいつも勉強しています。私はN4に到達したいです。でも、コロナウイルスから今年はJLPTがありません。私はとても悲しいです。私は夜に友達と遊びます。私は喫茶店へ行きます。私と友達に一生に勉強します。テガルにコロナウイルスがありませんだから行くことができます。

私はコロナウイルスを終わらせたいですから大学へ行きたいです。私はオンラインの勉強は分かりませんと難しいです。私は家で勉強に集中できないです。とても難しいです。

4.Maulana Rizky

こんにちは。はじめまして私はマウラナリズキです。UPI の学生です。3B クラスにいます。よろしくおねがいします。

コロナウイルスパンデミックの間、たくさんのかつどうをしています。せいふが PSBB せいさくをじっししましたから私は家でしずかに多くのじかんをすごしました。 私はいえでべんきょうしたり、ゲムをしたりしました。私は週に一度運動をしました。しかしせいふは「New Normal」 せいさくをじっししました、だから私は時間を過ごす仕事を探しました。私はバンドンのカフェではたらきました。私はそのカフェで2ヶ月はたらいた。

はじめての仕事だったのでぎこちなかったです。しかし、私はこころみつずけますはじめての給料をもらってうれしかったです。その給料をつかって物を買いました。オンラインのクラス活動がはじまろうとしていたので、私はカフェではたらくをやめました。

すべての活動が適切に実行されるように、このパンデミックがまもなく終了することを願っています。

5.  Fathih Prawiranegara Nurjaman

今日はAhmad先生。
はい始めまして、私はFathih Prawiranegara Nurjamanです、2人の兄弟の最初です、妹は今中学生です。
本当はBandungに生まれましたんですけれどもお父さんは仕事があったから、今はKuninganの町、Jawa Baratに住んでいます、お父さんは中学の教師でした。
お母さんは主婦です。

私は一回失敗しました、大変です、でも今は頑張るしかないんだ、しなければならない、二度と同じの失敗繰り返さない。

私は小学校から病気があったんですが、原因は不思議でした、先生から遺伝性疾患と言われたんですけれども、上からや祖父や祖母などいません、治すの方法もまだ見つからないんです、血液を移しかならないのです。

パンデミック中でどんな仕事でもずっと家からしていた、あまり家から出ていませんですけれども、本当に必要物があったら出ています、忘れずにマスクをかけて、そして誰にも触る前と後は手を洗います。

色んな事が毎日やっています、例えば: お風呂入るとか、いやー普通は休みの日でやってませんけど(笑)、掃除するとか、新しい言葉を覚えるとか、音楽聞くとか、映画を見るとか、等々。

でも昨日は”TikTalk”と言う会議があった、それはですねFOSMAKUのプログラムの話して、INSTAGRAMで配信しての予定です、中みはポッドキャスト見たいなだと思う、プログラムはどんなことするのかって、この配信で説明する、先生も気になったらよかったら@fosmakuupiフォローしてください、えぇ私はMEDINFOの部分に参加しました、MEDINFOはINSTAGRAMとLINEの責任者です。

正直このパンデミック終わりたいな~、ずっと家で家につまらないんです、友達と会う方が楽しかった、先生たちと会う方が良かった、教室で勉強方が良かった。

と言うわけで、今の学期よろしくお願いします。^_^.

  1. Risti

おはようございます。

初めまして。私の名前はリスティマウリヂアーぺルマナ。リスティと読んでください。今私は19歳です。スバンですいんでいます。私は日本語の学生です。私はUPIで学生。

コロナウイルスはこきゅうきけいを攻撃するウイルス。旅行したいならマスクをかぶってください。コロナウイルスだから大学へ行きません。私は3月から12月まで家にいます。私たちはオンラインクラスでも勉強していました。

家ではどこにも行けません。私の日常活動は家の掃除したり妹に読むことを教えたり日本語の勉強しました。ときどき私はケーキを作りました。母と妹が「おいしい。』言いました。私はりょうりするの好きですから毎日家でりょうりしました。家にいる間私は日本ドラマを見るのは、日本語のことばや文法を聞きました。私は日本語の上手になりたいです。

毎日午後、私はスポーツがありました。自転車に乗ったり、バドミントンをしたり、ジョギングしたりました。げんじてんでは、からだのけんこうは重要です。

いま、私たちはオンラインクラスで勉強していました。じつは家にいる時、おもしろくなかったです。友達に会えない、友達とたべられない、一緒に散歩をできない。ああ、とても悲しい。でも、でも、私たちは祈らなければならない から このウイルスが消えるように。

  1. M. Rafly

はじめまるに、私の名前はムハッマド・ラフリー・アジジです。ラフリーと呼んでください。私はUPI の日本語の大学生です。コロナのパンデミックの時、私はバンドンにいました。でも、母と父は私に帰るを尋ねたから、私はデポクへ帰りました。

私はデポクにやることたくさんがありました。例えば、家を掃除したり、勉強したり、映画を見たり、コミックを読んだりしました。時々私は友達の家へ行きました。

友達の家にゲームを遊びました。楽しかったです。夜の時、私はいつも早く寝ました。

  1. Zulva Wicak Pambudi

はじめまして私の名前はズルファです。私は1年前から毎日コーヒーショップで働いています。私はコーヒーが大好きで、バリスタとして働くのが大好きです。

政府のかんこくにしたがうからコーヒーショップ1ヶ月閉まっていった。そして今、政府のけんこうきせいに従って店が再開しました。典型的な日には1日4人の従業員が働いていますが今は毎日1人の従業員しか働いていないため、だから私の収入がおおはばに減っています。店内でのしょうひよりも持ち帰り購入をゆうせんするため、店のじょうたいは静かで、購入者はほとんどいません。コロナウイルスパンデミックの前のてんけいてきな日に私たちは1日に40から50のグラスを売ることができました、しかし今は1日に20のグラス未満しかはんばできません。

したがって、私は収入をふやすためにもう一度仕事を見つけようしましたでもこのような状況で仕事を見つけることはとてもむずかしいです。良いニュースは、従業員が解雇されていないです、だから私はまだ少し収入があります。

仕事は別として、パンデミックの間の私の日常生活は、ほとんどがげしゅくで過ごしました。お金をせつするため料理することを学ぶ、ニュースを読んでゲームをして時間を過ごすために。PSBBで田舎へ帰りない。Eid fitrがバンドンの 私のいとこの家に3日間たいざいしに行きました。Eid Fitrの1か月後、ようやく田舎へ帰ることができました。家に来たら私は自分で掃除し、旅行中に身に着けていたすべての服を選択しますた。 

私は家のとき妹と一緒にサイクリングに行きました。いもうとはまだ小学校6年生 です、 彼女は本当にサイクリングが好きで毎日友達と一緒にサイクリングに行きます。でももざんねんながら長くく家にいられなかった私は仕事のためにバンドンに戻らなければなりません。

  1. Aulia Oktaviana

こんにちは。アウリア・オクタフィアナです。私はスムダン出身で十九歳です。今、コロナから、家で検疫をしなければなりません。私は一人でいることを楽しむタイプの人です。検疫にいることは私にとって大したことではありません。検疫の時家で色々なことをします。朝はレモンとお湯を作って飲む。体の解毒や気分をリフレッシュするのに最適です。体重を減らしたい方にもおすすめのドリンクです。私はモイというの名前の猫がいます。彼は私のペットですが私の上司のように振る舞います。彼が私が起きていることを知った後、彼は私に彼を養うように言った。私は食べる前でも。だから私がする二番目のことは私の猫に餌をやることです。その後か掃除します。私は掃除を楽しむ。汗だくになり、運動をしていたような気分になりました。特に散らかったところにいるとストレスになります。それを掃除することは私にとって必須です。最近ユチュブで料理の動画をたくさん見ているので、たまに料理しています。今まで私の一番おいしい作った食べ物はティラミスです。とてもおいしかったので、家族に売って大金をもらった。私はお金が好きです。掃除したら疲れたのでシャワーを浴びて食べる。空腹時に食べる、喉が渇いた時に飲む、眠くなる時に眠るは世界で最高の気持ち。その後、私のスマホを再生します。スマホでWebtoonをよんで、youtubeをみて、instagramを再生します。母はスマホで遊びすぎたと叱った。実際、私はスマホから多く学びました。私は行ったことのない場所を見て、会ったことがない人から学ぶことができます。私はまた、日本語能力を向上させるために日本の映画も見ています。検疫を楽しんでいますが、友達、遠くに住んでいる家族、先生にも会いたいです。検疫は私がそれらが非常に貴重であることを認識させました。彼らが健康を保つことを願っています。そして私はそれらをすぐに見たいと思います。

  1. Ayatti

こんにちは!私の名前はアヤッティジュズアンマムリアです。人々は私をジェアと呼んでいました。パンデミックのこの時期、私は多くのことをしませんでした。私の他の友人とは異なり、彼らはウェビナーに熱心に参加しています。私はただ家にいて、母親が家を掃除したり、皿洗いしたり、服を洗ったり、その他の家事を手伝ったりしました。Netflixで映画を見ることもあります。このパンデミックの最中も、私は着る服をどのように混ぜ合わせるかについて少し学びました。しかし、家での私のすべての活動は、大学の友人のホームシックに取って代わることはできません。このパンデミックがまもなく終了し、またお会いできることを願っています。

  1. Gina

こんにちは。私の名はギナ・イスナエニ・マルハマーです。ギナとよんでください。コロナヴァイルですから、三月から今日まで私は家にいます。家にはオンラインクラスがありました。いろいろな分からないことがあると思いました、先生に問えなかったからです。でも、先学期のスコアは良かった私は大丈夫です。

学期の長い休みの初めは少し詰まらなかったです。長い休みの初めはどこも行かなかったで、毎日家にいました。家ではスマホを使ったり、映画を見たり、絵をかきたり、寝たりしました。とても面白くなかったです。でも、新しい趣味は見つけました。休みの間にはユーチューブでいろいろな料理作るの動画を見ました。パンとケーキを作るは上手になると思っていました。毎週3回ぐらいケーキとパンを作りました。だから今ちょっと太くなります。

八月はとても面白かったです。八月の15日から17日までに大家族集まりがありました。遠いところの家族は皆来ました。ペカンバルや、セラン、プルワカルタ、ガルト、ジャカルタからバンドンへ会いに来ました。皆はコロナヴァイルがありませんから大丈夫でした。いとこたちと10年ぐらい会わなかったから、皆が私を覚えなかった。なぜなら、私が大いに変わりましたから。あの日はとても楽しかったです。

  1. Naufal

はじめまして、私は「ナウファル • アディ • ラーマン」です。「ナウファル」と呼んでください。私は今19歳です。バンドン出身です。私は UPI の大学生です。どうぞよろしくお願いします。

今は「Covid 19」のパンデミックが起こるから、私はどこにも行きません。毎日家でアニメを見たり、昼寝したり、ギターを引いたり、自転車に乗ったりします。時々私の部屋を掃除します。

パンデミックが終わったら、たくさんのことをしたいです。例えば動物園へ行ったり、友だちと一緒に遊んだり、買い物したりすることです。

  1. Putri Naula

こんにちは。はじめまして私はプトリナウラです。ナウラとよんでください。バンドンにすんでいます。ダンスすることが好きです。私はUPIの学生です。今はUPIで日本語学科をべんきょうしています。どうぞよろしくお願いします。

今、私のアクティビティはりょうりを作ったり映画を見たり時々勉強したりしました。

毎日6時におきました、そして母と朝ごはんを作りました。昼と夜は時々ビデオを見ました。時々ユーチューブを見ながら、ご飯を食べます。夕方は部屋をそうじします。私の好きなアクティビティはクッキーを作ることです。毎週チョコチップクッキーを作りました。兄が「おいしい。。」と言いました。とても嬉しい。

コロナヴぃルスですから皆も4ヶ月ごろ大学へ行けませんでした。私たちはオンラインクラスでも勉強していました。家にいなければなりませんから、どこにも行けませんでした。じつは家にいる時、あまりおもしろくなかったのです。友達に会いたいけど、 どこにも行けません。大学へも行きたいです。しかたがありません。

パンデミックがおわったら、友達と遊ぼうと思っています。

  1. Amalia

はじめまして、私は二年生のアマリアです。3月から今まで、コロナパンデミックがありますから、私たちは家に出ることはできません。家で私はただ寝たり、食べたり、掃除したり、イラストを描きたりします。日本語も勉強します。私はYouTubeで日本語を使う動画を見ます。それは私にとって、聴解の練習です。そして、スマホに日本語のゲームがあります。ゲームで日本語のテキストがありますから、読書にも役立ちます。私も時々KanjiStudyとDuolingoというアプリケーションから文法と新しい漢字を勉強します。ずっと家にいるのはあまり悪くないと思いますが、友達がいなくて寂しいです。すぐに友達に会いたいです。

  1. Arumya

休日の時、コロナパンデミックなので、多くの時間を家で過ごします。これが私の日常です。毎日、午前 4 時に 起きて、顔を洗って、お祈りします。 午前 6時に キッチンで母が朝食準備するを手伝って、皿を洗って、シャワーを浴びます。午前7時に テレビを見ながら、朝食 を食べます。午前8時に 家を掃除します。午前9時に スマホのゲームを浴びます。午後12時10分に お祈りして、昼ごはんを食べます。午後1時30分に昼寝をします。午後3時15分に 起きて、お祈りします。次に夕食を作ります。午後6時に お祈りして、夕食を食べます。午後7時に顔を洗って、歯を磨いて、お祈りします。寝る前に、私の好きなアイドルのビデオを見ます。午後8時30分に寝ます。

  1. Dita

大学の休みに家族と家にいました。コロナウイルスがありますから、私たちはどこにも行けませんでした。今の休みは本当につまらなかったです。でも、家族がいますから、うれしかったです。5時においのりします。そして、朝ごはんをたべます。ときどきアニメをみながら、朝ごはんを食べます。私の好きなアニメはハウルのうごくしろです。このアニメはとてもおもしろくて、いいアニメです。アニメを見てから、ゲームをあそびました。このゲームの名前はskyです。コロナウイルスがありますから、私と友達にあいませんでした。でも、skyで私と友達に会いましたとあそびました。Skyでたくさん新しい友達を会いました。かれらはとってもやさしいです。このゲームがありましたから、せかいじゅうからたくさんの友達がいます。日本の友達がいます、かのじょの名前はパンさんです。パンさんは私に日本の食べ物をおしえてくれました。つるさんも日本人です。“たくさん日本人はぜんぶの漢字をおぼえなかった”と言った。たくさん新しいちしきをもらいました。私は2時から4時までゲームをあそびます。4時においのりしたり、へやにそじをします。5時にシャワーをあびます。私は忙しくなかったから、私と家族はテレビをみます。ときどき、私は妹に日本語をおしえてくれます。6時においのりします。そして、晩ご飯をたべます。7時においのりします。そして、寝ます。もう3月ですね、大学にもどります。

  1. Renindra Atsilah Putri

はじめまして、私の名前はレニンドラです。でも、レニンと呼んでください。 私はインドネシア教育大学の大学生で、今は日本語を勉強しています。 日本語を勉強するのはとても楽しいです。 でも、パンデミックがまだ続いているので、この5ヶ月間大学に行けないのは本当に悲しいです。 早くパンデミックが無くなればいいのにと思います。 友達に会いたいし、いつものように遊びに行きたい。

一日中家にいるのは本当につまらないです。 学期の休みの間は、家にいることしかできないので、何もしていません。 でも、たくさん卵料理を作ったので、とても気持ちがいいです。 小さな兄弟二人は、私の卵料理が大好きです。 嬉しかったです。あの二人はよく食べてくれました。 もう一つは、日本語のゲームをしたり、ラジオやドラマを聞きたり、好きな俳優のインタビューや舞台などの動画を見たりして、日本語のスキルが衰えないようにしていました。 また、日本語から英語やインドネシア語に翻訳してみたりもしました。 好きなもので日本語を勉強するのは本当に楽しかったです。

もう一度言いますが、パンデミックがなくなればいいのにと思っています。 いつか全てが良くなることを祈っています。

  1. Eka Chandra

はじめまして、私の名前はエカチャンドラルクマナです。バンドンに住んでいます。コロナパンデミックがあるから、全部家にやります。私にはそんなことは普通でした。以前の生活にもほとんど家にやりましたから。

コロナパンデミックの時私は家にいろいろなことをしました。例えばアニメを見たり、ライトノベルを読んだり、ゲームをあそんだりしました。ときどき、朝に私は家にそうじしました。その後にはゲームをあそびました。ゲームのタイトルはmobile legendです。そのゲームをあそぶことはあまり楽しくなかったです。かなしくて、怒って、ぜつぼうでした。敵はばかでしたが、味方はもっとあほうでした。とてもくやしかったです。

ゲームをあそんだ後で私はアニメを見ました。ご飯を食べながらOne Pieceを見ました。それから、昼寝をしました。起きた後でまたアニメを見ました。ときどきOne Pieceを見ることがつまらないから、他のアニメを見ました。夜にLumpiah Basahを作ります。そして、またアニメをみました。その後でまたゲームをあそびました。むかつくけど、あそびたいです。それから、私は寝ました。

休みの時、親戚がバンドンに来ましたが、私の一日はあまりかわらない。それに私はぜんぜん勉強しませんでした。でも、ときどき友だちに日本語をおしえてあげました。最近にも友だちとしりとりをあそびます。

  1. Al Daffa Fauzan

Assalamualaikum 先生、私は二年生のAl Daffa Fauzanです。さいきん新しいウイルスがあります、ウイルスの名前はコロナウイルスと言います。そのウイルスからグロバルパンデミックがあってみんな世界中でそのウイルスをたおすためにみんなうちででかけなければなりません。だからいま世界中でカランティンをやるます。もちろん私もやります、きょうはもう六ヶ月ぐらいやります。毎日朝おきて朝ご飯をたべて普通なせいかつをやってけどうちにでかけないからまいにちそのせいかつはだんだんつまらなかったになります、そのつまらなくなったせいかつから私は一つスキルを毎日ならうやってみます。たとえばバックフリップとかカードマジックとかいろんなことをやってみます。でもいちいばん使うスキルはたぶん料理をすると思います。便利だし倹約だし生活に一番使ったスキルです。そしてお母さんがいるからおいしい料理をおしえてもらったんです。

  1. Yudi

私の名前は yudi prasetia です。

私の一日は大学にいるとき朝おきて、みずをあびて、あさごはんをたべます。そしてUPIへいきます。家へかえってからゲームをしてばんごはんをたべます。そしてべんきょうをしてねます。でもコロナウイルスだからUPIへ行きません。しかし、他には あまりかわりませんでした。

休みの時あまりかわりませんが、でもコロナ ウイルス だから 私の 休み はちょっと つまらないです。なぜ?友達と あそべないからです。そして 家に いるの も つまらないです。毎日 ただ ゲーム を したり アニメ 見たりするだけです。友達と 会いたい そして あそびたいと思っています。だから コロナ ウイルスは すぐ きえると 私の ねがいです。

Amiiiinnnn….

  1. Annisativa Novianti

私の名前は Annisativa Noviantiです。コロナパンデミックで、講義は オンラインで していました。4月から 大学に 行きませんでした。二学期の 講義終わるまで、私の 毎日の 活動は オンラインの 授業と 宿題を していました。二学期が終わったとき、暇な時間がたくさんありました。しかし、私の母は 病気しましたので、わたしは 世話を しなければなりませんでした。母が ジャンビにいたので、バスで ジャンビへ 行きました。母は 腎臓病を患っていました、そして わたしは 毎日 母と 世話をしていました。でも、母は 8月16日に 亡くなりました。私は とても悲しいですが、我慢しなければなりません。悲しいいたとき、私は何もできません。よく祈るだけです、そして大家族と集まりました。ジャンビに2ヶ月いた、家族と時間を 過ごしました。私と家族は 母親のために一緒に祈りました、それから 母の​​墓に 行きました。8月29日に 私と父 はバスで バンドンへ帰りました。休暇中に、私はインドネシア語で 短編小説書くことを好きです。小さい頃から、私は小説を読むことを大好きです。私もスマホんで 映画を見ることが好きです。私と妹 一緒に YouTubeで 料理法のチュートリアルを見て、それから ケーキを作るのが好きです。コロナパンデミックの中で、 わたしはよく家族と過ごしています。家族は人生で最も価値のあるものですと思います。

結び

上記の学生が書いた作文の中から見ると、コロナ禍のせいではプラス評価マイナス評価が見られることがわかりました。大体の学生は共通なのはお祈り、料理、掃除、家事、勉強の復習、日本語の勉強、オンラインでの映画やゲームなどのうな遊びの楽しみになどです。また、面白いことには創造性(クリエティブ)という学生の知恵が割りと生み出しました。逆に、マイナス評価にはやはり、悲しい、退屈、つまらい、友達に会いたい、遊びたい、このようなレジャーがほしいということです。

最後ですが、プラス評価があっても、コロナウィルスがいち早く解決できるのを願っている次第です。

バンドンにて、2020年9月9日(水)