Ahmad Dahidi, 年末の「思い出」とその「あれこれ」

年末の「思い出」とその「あれこれ」*)

 

アフマッド・ダヒディ

Ahmad Dahidi

(インドネシア教育大学)

はじめに

 

どこの国でも年末と言えば、クリスマス、日本ではクリスマスのほか大掃除、インドネシアだったら、…?(クリスマス?)という連想のイベントがすぐ頭の中に思い浮かんでいるでしょう。私の頭の中にも少しはありますが、昨年の年末にはそうでもなかったのです。2013年度の年末は私にとって特別な年末だと、非常に意義のある年末だと言えましょう。その中のいくつかは関西での我が大学舞踊団来日団長(12月4日から10日にかけての一週間)、19日と20日(二日間)の国際シンポジウム実行委員長(スポンサーは国際交流基金)、我が大学と静岡大学との国際シンポジウム実行委員会とその通訳としての役割、もう一つはなんと言っても迫田久美子先生の元の「「海外連携による日本語学習者コーパスの構築−研究と構築の有機的な繋がりに基づいて− 」という学習者コーパスプロジェクトの手伝いをさせていただいたことです。要するにこの一ヶ月、全て私と関わっていたプログラムなので、かなり忙しい毎日で頭を早く回転しないといけない時期でした。そうでないと成功するには難しくなるに違いありません。

本稿では学習者コーパスプロジェクトに関わっている調査前後の準備とその実施状況、今後の課題などを簡単に書いてみたいと思います。

 

調査の準備とその実施について

11月の末のある晩、親しい友人(パジャじゃラン大学日本語学科のASさん)から電話がかかってきました。その用件はパジャジャラン大学での調査で実施する予定だったのに、急にキャセルしてしまい、インドネシアでの調査はできなくなってしまったと聞きました。その代わりにUPIで調査を実施すればいかがでしょうかとASさんが言っていました。私はあまり真剣に考えずに嬉しく引き受けて判断しました。なぜなら、親しい友達はもちろんのことですが、人との助け合いという教えは自分ができる範囲だったら、やるべきなのではないかと思っているからです。また、自分の人生は他人がいるからこそ、生きているのです。互いに協力し、助け合いするのが当然なことだと思います。

話は戻りますが、自分が判断した結果、実は困っていたのです。というのは12月20日から1月の5日までは期末試験のためには大学の休みなのです。学生は大学へは来なくなり、調査はできなくなってしまうかもしれないと思い、ドキドキしていました。ちょうど、翌日は私の授業なので、ASさんからの電話の中身を学生さん(三年生と四年生)に伝えておきました。私は授業の前にはこう言いました。「みなさん、今学期の授業は12月20日まででしょう。その後は休みです。みなさんは何をしますか。田舎へ帰りますか。それとも、ずっとバンドンにいますか。」その学生の答えはほとんど田舎へ帰ると答えました。UPIの学生(日本語教育学科の学生を含めて)遠いところから来ている学生はほとんどです。バンドンでは勉学のために下宿したり部屋を借りたりして生活しています。休みの時はほとんど両親の所へ帰り、一時的自分の頭を冷やしているのではと思います。そういうことで、「やばい」だと思って、「じゃ、休み中にはキャンパスに来ないんでしょうか。実はお願いがありますが、助けてくれないかな。」と言ながら、学生は「先生、何のお願いですか。」と言いました。「実は12月の23日から27日にかけての5日間、日本の方と共同で調査する予定をたてているところです。その調査の対象者はみなさんなのです。でも、田舎へ帰ってもいいし、ずっとバンドンにいてもいいし、とにかくみなさんが困らないかぎりは協力してほしいのです。現在、日本で日程表を作成しているところですが、できたら日本語学科のお知らせ版にはります。そこで、よく見てね。人によって、時間割りは違いますので、自分の出番はいつなのかをよく見てください。それから、協力者は200.000ルピアから300.000ルピアぐらいは謝礼をもらいます。いかがでしょうか。とりあえず、今回は最低、みなさんの連絡先(名前、携帯番号、メールアドレスト)を書いてほしいのです。なにかあれば、のちほど連絡しておきます。皆さんからの協力は作文を書くこと、フェオスシート作成、それから日本語でインタビューをすることです。」と私が説明しておきました。当日、みんな揃って「先生、協力します」と答えてくれて、何とも言えない嬉しさでした。すぐに学生の名前を「IID_learners_data_list_20131024」の中に書き込み、S先生やSG先生やK先生にお送りしました。S、SG,Kは3人とも日本人の研究者です。学生集めをやり易くするにはまず各クラスの学生会長にお願いし、それをRhさんという学生に整理してもらいました。彼女は当日の調査にも協力してまらい、すごく助かりました。これが私の最初の動きなのです。あとはS先生からメールをいただき、このメールを読んだ後、やっと、詳しい調査の目的などが分かるようになりました。S先生のメールは次のとおりです。

◆プロジェクトのこと

私は、現在、「海外連携による日本語学習者コーパスの構築−研究と構築の有機的な繋がりに基づいて− 」という科学研究費基盤Aのプロジェクトリーダーをしており、1年前から助成金をいただき、4年間で50,000,000円のプロジェクトを実施する計画です。その内容は、19の地域で、12の異なった母語を持つ日本語学習者1000人のデータを集めることです。

具 体的な地域は、アリゾナ(米国)、オックスフォード(英国)、シドニー(豪州)、台北、台中(台湾)、上海、湖南(中国)、オークランド(ニュージーラン ド)、バンコク(タイ)、ホーチミン(ベトナム)、ブタペスト(ハンガリー)、ソウル2ヵ所(韓国)、ウィーン(オーストリア)、モスクワ(ロシア)、イ スタンブール(トルコ)、グルノーブル(フランス)、マドリード(スペイン)とバンドン(インドネシア)です。

◆今回の事情

それぞれの地域で、調査の責任者の方が海外研究協力者としてこのプ ロジェクトにかかわってくださっています。インドネシアは、パジャジャラン大学のAS先生にお願いしていました。先日までは、12月に実施予定で準備し ていたところ、急な変更が出てしまい、こちらも渡航準備を進めており、困ってしまいました。

そこで、AS先生がすぐにバンドン教育大に連絡してみましょう・・・とおっしゃってくださり、とつぜんのお願いとなりました。最初は、いきなりのお願いでは、無理ではないだろうか・・・と思っていましたが、あっというまに、バンドン教育大での準備を整えてくださり、私たち日本側は驚くと同時に、AS先生とバンドン教育大の先生方の強い絆(きずな)を感じました。

◆海外研究協力者として

突然の調査のお願いで、驚かれたことと思いますが、ぜひ、このプロジェクトの意義をご理解の上、ご協力をお願いしたいと思います。不明な点や疑問点は、遠慮なくお知らせください。

また、AHMAD DAHIDI先生には、AS先生と同様、このプロジェクトの海外研究協力者として関わっていただければ、幸いです。

◆研究スタッフ(SGさんとKさん)

今後の進め方としては、このプロジェクトを動かしている重要な二人の研究員(SGさん、Kさん)が事務局スタッフとして、連絡をとって行きますので、どうぞ、宜しくお願いいたします。

◆最後に

今後は、AS先生と事務局スタッフとで、話を進めてくださいませんか。

時間も迫っておりますので、学生集め、教室の手配、ホテル予約、渡航準備、担当教師との打ち合わせ、アシスタントの手配など、細かい作業がございますが、このプロジェクトを成功に導くためには、すべて準備が大切ですので、どうぞ、宜しくお願いいたします!

 

上記のメールを参考にして全力で成功したいと言う気持ちでいっぱいです。S先生のおっしゃったとおり、やはり、本調査を成功に導くためには学生の名簿とそのやり取りだけでなく、教室の手配、ホテル予約、レンタカー手配、日本側との打ち合わせのやり取り、アシスタントの手配などなどの細かい作業実施をやらなければならないのです。「早く早く頭を回転しなきゃ」と思いながら動きはじめたのです。「やればできる」とか「貴重な人生というのは人のために役に立つ者だ」とか「いいことなら神様が守ってくれるでしょう。」「本調査は日本語教育ためには意義のある調査なので、成功すべきだ。」などなどという精神的や心理的な支えが頭の中には毎日浮かんでいるのです。そのお陰で、毎日順調に実現できるのです。

ところが全ての準備が整っていましたが、実際には何人の学生はキャンセルしたり、日程には会わなくなったりする人がいて、変更することもありました。でも、重大な問題と言えないと思います。この解決にはすぐ他の学生に連絡しており、当日の調査までも少し変更したりすることがありました。面白かったのはキャンパスへ遊びに来る人がいて、ちょうどキャセルの学生がありました。その代わりに本人にお願いして、調査は順調にできました。いろいろありましたが、全般的には本調査は予定どおり順調に行っていたと言えましょう。これはS先生のメールには「…お二人の先生方(ASとAhmad Dahidi)および支援してくださった皆様のおかげで、無事立派なデータが収集できました。感謝いたします!…「」と、このようなメールを受け取り、本当に幸せで、何とも言えない嬉しさです。

 

今後の課題

ご周知のとおり、インドネシアにおける日本語教育事情は「…2006年調査では272,719 人でしたが、2009年には716,353人と2.5倍に急増。さらに2012年には、872,403人となり、韓国を抜き世界2位となりました。この学 習者数の急増に、多くの目がインドネシアに向けられました。しかし、実は、この急増は、2004年に始まった教育改革が大きく影響しているのです。それは 「理科系=選択科目として日本語を学ぶ、社会系=週2時間必修として日本語を学ぶ、言語系=週9時間必修として日本語を学ぶ」という方針によるものです。こうしたカリキュラム改革によって学習者数は増えてきましたが、ここに来てまた教育制度が変わりました。(嶋田、2014)。要するにカリキュラム改正はある程度、外国語教育(英語は例外)には影響を与えるのが当たり前のようです。また、今年から新しい学校カリキュラムが変わってきました。どのように日本語教育(特に高等学校の日本語教育)に影響を及ぼすのかを調査する必要があるのではと思います。

 私は昨年嶋田先生にはこう言いました。「カリキュラム改正で、日本語が必修科目から選択科目になったことで、一時的には日本語学習者は減ることでしょう。しかし、その先の見通しについて、…今回も1980年代と今の時代、ある意味よく似ていると思います。同じような移り変わりだと思い ます。日本語学習がどんどん減っていくかというとそんなことはないでしょう。これからは、どうして日本語を勉強するのか、したいのかということを学習者が もっとはっきり意識できるようにすることが大切です。学習動機アップの研究が大切です。それから、日本語への関心度を高くするためには、インドネシアの中で大学と高校の連携、それから国際交流基金との連携、いろいろな連携が必要です。そうそう、そのためには、発信が大切ですね」(嶋田、「http://www.acras.jp/?p=2230 (インドネシアの日本語教育事情~さまざまな変化の中で~」 2014参照)。学習動機ということはインドネシアにおける日本語教育には重要な課題だと思います。というのはこれから新しい学校カリキュラムの中には「外国語を勉強する高校生は興味のある人しか勉強しません。」

2013年度のカリキュラムに向かう高等学校や専門高等学校には外国語(日本語、ドイツ語、アラビア語、フランス語)、英語は例外)の先生は現在落ち着いていない状況なのだと思います。それだけでなく、TIKというICTの先生も同じ気持ちを持っているのではないかと思います。なぜなら、外国語やICTの科目は高等学校や専門高等学校の新しいカリキュラムには消えてしまったのです。その方法は二つ考えられます。一つは各高等学校には言語系が設置することです。もう一つは生徒たちに日本語に対する関心度をアップする努力すべきなのです。 言語系があれば、外国語の先生にとっては一安心だろうと思います。なぜなら、言語系にはちゃんと外国語という科目はあるからです。時間割りもあります。ただし、言語系というイメージは社会的からの価値観からみると「白い目で見ている」というのが事実だろう。また、「将来性がない、言語系での勉強する生徒達は排水学生だ。」などなどの悪いイメージなのです。昔から現在に至るまでのランクにすると、理解系、社会系に順にし、最後は言語系は一番「最も低いカースト」だと言われています。(http://edukasi.kompasiana.com/2013/06/14/kurikulum-2013-membuat-galau-guru-bahasa-asing–568860.html 参照)

結び

以上、インドネシアにおける日本語教育に携わる先生や産官学の人達には「連携」、自分達の力でなんとかしないといつのまにか「日本語」という科目に対する学習者は減っていくのでは、いつまにかなくなることも出てくるのでは。これからは力を会わせて、言語系での勉強するには理解系や社会系と同じレベルでレベルアップする必要が言うまでのないことです。

いくつか方法が考えられます。

国際交流基金、日本の文部科学省、その他のインドネシアに投資する日本企業などには奨学金や日本への留学させる「短期間や長期間」を増やすこと、現地の先生達は生徒達に対する動機付け努力、面白い授業を開発する、なにか生徒の心を引き出すストラテジーを考えるべき、言語系での勉強する生徒って、「立派な生徒」というイメージ転換努力、などなどの方法があると考えれます。実際にどのようにすればよいかは今度の課題だと思います。

バンドンにて、2019年9月

 

*)この日記は2013年度の「年末の思い出」の修正したものです。関わりの方はイニシアルにしており、ご了解ください。